R30
ゲストに大泉洋が登場という事で、もちろん録画してみましたよぉ(藤村D風)。
「今日のゲストに興味ないから、手抜きで半ズボン」という格好の国分太一くん。その後大泉さんがのそのそ登場し、発せられた第一声が「何だいこの番組」でした。
始めは「水曜どうでしょう」の秘話に関してのトークでした。
北欧編での初日の野宿の話をしていまして、車で野宿の大泉さん(とミスター)が窓が開いているのに鍵は寝袋で寝ているディレクターが持っていて動かせず、「“タレント根性”で乗り切った」と言っていましたが、実際は寝床の確保より食事を優先させて、結果野宿の原因を作った負い目から起こせなかったというのが正しいのでは?
まあでもそこまで説明しても難しいから簡単に説明するためにしたんでしょうけどね
「銀のエンゼル」で東京国際映画祭の赤じゅうたんを踏んだミスター。周りにはどうでしょうバカが囲っていたらしく、沿道から「ミスター!」と叫んだところ、マスコミの人がキョロキョロしだしたそうです。
何かと思えば、マスコミは“ミスター”長嶋茂雄さんを探したらしく、「長嶋がいない!」ということになっていたのだそうです(^^;
とにかく、自身の出世作ともいえる「どうでしょう」。最後の1,2年は大泉さんも「もう終わるな」と察していたそうで、その言葉が出ないようにとにかく喋ったと語っていました。
そして藤村Dに呼び出され、その瞬間に「ああ、もう終わるんだな」と感じたのだそうで、その日は眠れなかったのだそう。まあでも人生を変えた番組だけに一入だったでしょうね。
話は変わり、東京と北海道(ローカル)のギャップについて。まずは北海道で年に1回やっている「YOSAKOIソーラン」特番で、そこのスタッフに、
「『1番のウリはクレーン2台』ということをとにかく強調しろ」
という、視聴者にしてみたらどうでもいいようなことを言われたそうです。
しかも、スタッフも少ないのに8時間と長丁場でやったためか、感動の方向を間違えて踊り子を映さずにカメラマン同士を映してしまうという、東京ではありえないことをやっていたそうです。
「俳優・声優・歌手とマルチに活躍している」という大層なVTRのあと、「今でも変わらない信条とは?」とナレーターさんに振られて、答えづらそうに、
「明日できる事は今日しない」
これには国分くんも「あぁそうすか…」という感じでしたね。
曰く「とにかく仕事が遅い」ということで、確かに大泉さん、「どうでしょう本」の小説も本当にギリギリになるまで書かず、結局間に合わなくてページ数の割に長い文章でフォントが小さくかなり見づらくて、そこだけすっ飛ばしちゃいましたもん(ぇ
子供の頃からそうで、夏休みの工作もギリギリになって兄に手伝ってもらいながらやっていたのだそうです。
で、その子供の頃に何を思ったか“自殺マシーン”なるものを思いついて、実際に作ったそうですが、ちょうど友達の父親が亡くなったそうで、その子の事を考えて結局発表できなかったのだそうです…てか子供でその発想は怖いわー(^^;
自分大好きなことはよく知られていることで、バラエティでは100点、でもドラマや映画では満点とは言えず、曰く「何でこんなブサイクな顔だろう」と思うのだとか。それを聞いて国分くん、
「でもそんな顔ですよ」
その通り!
そんなこんなであっという間にエンディング。2人は「もう聞くこと無い」と一刀両断し、今回の内容のまとめとして、
「子供の頃“自殺マシーン”を作って…」
ああ、まずそこからなんだ…。