ミューズの晩餐 My song, My life

ゲストに樋口了一さんが登場。


「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」は、世間一般では「年老いた老人が子供に向けた歌」というような歌詞から、介護されている方・介護従事者に向けた歌という認識が強いですが、樋口さん曰く「自分は送り手として、この歌の言葉を『何かの歌です』っていう風に限定したくない」のだそう。
もちろん上記のような認識ももちろんあるとは思いますが、子育てが大変という方にとっては、親子の歌にもなるだろうし…と、つまり聴く人一人ひとりの物語に寄り添ってくるようなものだ、と語ります。


樋口さんヒストリー。
1993年にデビューしますが、鳴かず飛ばずで作曲家の道へ。
SMAPKinKi Kids、V6など、ジャニーズのアーティストに楽曲提供などをしていることを話していましたが、その中でなんとこの曲も樋口さんの作曲であることを、はじめて知りました。

TOKIOの14枚目のシングル「Love&Peace」。
曲自体はもちろん知っていましたし、好きな曲ではあったのですが、まさか樋口さんの作曲した歌だったとは…。いやはや迂闊でした。


作曲家生活を振り返り、「自分の中で盛り上がりましたね」「俺はこれに向いてるのかな…と、思っちゃったときがあった」と語っていました。
歌い手側の注文に応えていける…と思っていたそうですが、それも最初のうちだけ。
だんだん自分が本当に表現したいものと多少違っていても、オファーに合わせて作るが、やはりそれは気に入ってもらえない。


そこで、自分の琴線・自分がまず歌いたいものから軸をぶらすことができないタイプであることに気づく樋口さん。
ヒットすることで得られる達成感はあるものの、自分が表現したい…というところに戻っていかないと曲を作れない時期ができてしまったそう。


ヤバイ、と危機を感じた樋口さんは、歌手としての活動を再開。
単独ライブをすることにより、自分が音楽活動を始めた時の感覚を取り戻すことができたとか。


「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」をフルコーラスで披露。
ナビゲーターの1人・バイオリニストの川井郁子さんのバイオリンも曲に彩りを与えてくれていました。

手紙 ?親愛なる子供たちへ?

手紙 ?親愛なる子供たちへ?

手紙はやはり昔に比べて書かなくなったという樋口さん。寺脇康文さんも「メールもありますしねー…」と言っていましたが。
樋口さんが20歳のとき、未来の自分に手紙を出すという企画があり、20年後の自分に充てた手紙を出していたらしく、その内容にビックリしたという樋口さん。

「『全米大ヒットおめでとう』…学生の分際でね」
「『グラミー賞受賞のときは私も泣きました』とかそんな事が書いてありました」

夢、でっかかったんすね(^^;